武神館手塚道場


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武神館について  

宗家に投げられている手塚先生蒙古の虎と呼ばれた最後の実戦忍者、高松寿嗣に師事した初見良昭先生は、古武道9流派の宗家を継承し、武神館道場を設立しました。(左の写真は、本部道場の稽古にて、初見良昭前宗家に片手で投げられている手塚先生の写真です。)
初見先生は 世界中の戦いのプロから、尊敬されている人物で、日本よりも海外での方が有名かもしれません。世界中の軍隊や米国連邦捜査局(FBI)、英国特殊部隊(SAS)から請われ 隊員を指導したりと実績は数多く、『TIME』「世界が尊敬する日本人100人」にも掲載されてました。


大勢の外国人に囲まれた宗家 武神館は古からの武術を伝えていますが、そのなかには忍術も含まれているため、忍者という側面ばかりがクローズアップされがちです。しかし、それはこの武道が持つほんの一部であって、すべてではありません。この武道が持つ独自性は、技が「生き延びる」ための精神や体に直結しているところにあるかもしれません。スポーツ化し、勝敗を明確にする現代武道とは違うところに焦点があります。

けりをかわされる 
そこが世界中の軍人達やプロフェッショナルが本物の技術として習得を必死に目指す理由の一つかもしれません。平和な日本に生活しているわれわれにとっても、また、昨今増えている女性の門下生にとっても、多くの複雑な世の中の流れの只中にあって自分が生きていくために何が本当に大切なのかを考えたとき、武神館の稽古は多くの示唆をくれます。 
 初見先生が、屈強な軍人を、ほほえみながら制する様子は圧巻の一言です。受けをとる弟子からすると、自分がなぜ倒されたか一瞬わからず、それはまるで手品のように感じることもあります。
 この武道に出会うタイミングは人それぞれだと思いますが、年齢があがって筋力がおとろえるに従って弱くなる武道ではありません。むしろ正しい稽古の年数を重ねれば重ねるほど強さも凄みも増していきます。
 道場の師範である手塚先生自身も、今現在も初見先生の動きを目指して日々研鑽を積んでいる一人です。門下生とともに、よりよい人生を目指して稽古・精進しております。

初見良昭先生について

初見良昭宗家 初見良昭先生は幼少の頃より、数多くの格闘技、武道を修めました。特に柔道は強く、20代前半には米軍キャンプにて柔道を教えていた腕前でした。その後思うところがあり、オールマイティな武道を探していた折、奈良県橿原市に住む「中国大陸で活躍した、最後の実戦忍者」「蒙古の虎」と呼ばれた高松寿嗣 先生のことをご存知になったようです。そして高松先生を訪ね、手合わせをお願いしたところ、70代の高松先生に、20代の腕に自信があった初見先生がまるで子供扱いされるように簡単に制されてしまいました。自分の求めていたものはこれだ、と、初見先生はすぐに高松先生に入門なさることとなったそうです。以来、高松先生がお亡くなりになるまでの15年間、毎週末、初見先生が住んでいる千葉県野田市から夜行列車に乗って奈良県橿原市に稽古に出かけるという日々が続きました。(『忍者サブミッション』勁文社 1991年)

 「生命が縮む思い」の実戦稽古の日々の後、初見先生は、高松先生の伝承する九流派(戸隠流忍法、神伝不動流打拳体術、虎倒流骨法術、高木揚心流柔体術、九鬼神伝流八法秘剣、玉虎流骨指術、義鑑流骨法術、玉心流忍法、雲隠流忍法)の印可を受けました。そののち九流派を統合し、「武神館」を創設して、武神館武道宗家として後進の指導を始めました。(『こころの象』星雲社 2002)

 古武道の教授と同時に、忍法を通じて、日本の美、芸術、心をもう一度根本から見直そうとする初見先生の態度は次第にマスコミに認知されるようになりました。戦後の時代劇、忍者ブームのなか、武芸考証や出演が続きます。『風のフヂ丸』、『忍びの者』、前進座の『黒田騒動』、帝劇の『戦国逆々伝』、芸術座の『壬申の乱』、東映『直撃地獄拳』、『柳生一族の陰謀』。昭和36年秋には、皇太子殿下に忍法武芸についてご進講申し上げる、NHKで忍術の話を紹介する、などです。
 大使館や公的な機関からの演武依頼も殺到するようになり、次第に初見先生の存在が海外にも知られるようになっていきました。かの『007』シリーズの当時の監督も宗家宅を訪れ、演技指導の依頼をしたそうです。その時の写真が新聞記事となって残っています。(以上、詳細は『世界のマーシャルアーツ』土屋書店 1987年に詳しいです。)
 1980年代に入り、宗家はアメリカをはじめとした海外に指導に訪れるようになりました。当初、宗家の指導セミナーに出席したのは、必ずしも無条件に指導を受けたいという門下生だけでなかったそうです。疑いと野心を持ちながら参加し、宗家の腕を試してみようという者もいたそうです。それを実際に目の前で技を体感させて、実体験で納得させていったわけです。宗家の実演と指導は、驚きと感動を持って各国の専門家達に受け入れられ、数多くの軍隊や専門機関からセミナーの開催を依頼されるようになりました。「忍者の間違ったイメージを正しくする」という気持ちもあり、請われた国への指導行脚をしていきました。爆発的に海外の『その方面』では「初見先生」の名前が広まっていったのがこの頃です。
 1990年代に入り、海外のセミナーだけでなく、さらなる教えを請う門下生達が、わざわざ来日して千葉の野田市にある本部道場の稽古に参加するようになりました。2014年にテレビで頻繁に「なぜか外国人が集まるスポット」「日本なのに何故か外国人がギュウギュウ詰めのスポット」として本部道場の様子が取り上げられていますが、あの様子は、もう30年近くも前からあの状態だったようです。
 2001年以降、初見先生は海外での指導に一区切りをつけられました。その結果、海外から、指導を請う門下生が以前にも増して訪れるようになりました。特に1年に一度、宗家の誕生日前後に行われる指導セミナーには、海外から門下生が数百人が集まりました。その様子は大勢の屈強な外国人たちが黒装束を着て一心に一人の先生の動きに注目しているという、ある意味日本にあって、まるで日本ではないような、不思議な光景でした。(以上、QUEST社武神館DVD『大光明祭』シリーズに詳しいです。)
現在は9つの流派の宗家をそれぞれ別々の先生方が継承され、初見先生の教えを次世代に繋いでいらっしゃいます。

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